住職の寺人ぬ宝

顔色和悦

ある時、長男・融至とお風呂に入りながらこんな会話をしました。

 

父「融至は大きくなったら何になりたい?」

子「死なない人!」

父「えっ、この前の保育園での誕生会では大工さんって言ってたよね?」

子「うん、でも今は死なない人!」

父「じゃあ、融至だけ死なない人で、みんなは死んでもいい?」

子「(少し考えて‥)やっぱり、みんな死なない人になってほしい!」

 

6歳になれば「死の恐怖」が生まれるのでしょうか?

そして夜の9時頃、家族で布団に入り眠りにつこうとしていました。すると子どもの口から「怖い‥怖い‥」と。「何が怖いの?」と母が尋ねると、「ねぇ、融至は大きくなれる?」

よくよく考えれば、これには原因があります。ご飯をなかなか食べない子供たちに見兼ねて、「ご飯食べないと大きくなれないぞ!」「そんなんじゃ、早く死ぬんだな!」と脅しをかけながら食事を促す父母。その言葉が響いていたのではないでしょうか。

私たちの価値観は時に残酷で、子供たちに悠々と生きられない世界を与え続けていたのです。

『観無量寿経』の中に、頻婆裟羅王がお釈迦様の教えを聞き「顔色和悦」になったと説いてあります。仏法は私たちに充足感と喜びをもたらすものなのですね。私の生き方がそうなっていなかった証拠を子どもに突きつけられました。

融至よ、人間は必ず死ぬものだけど、大きくなれないかもしれないけど、堂々とその身を生きておくれ。大工さんになってもいいから‥。

     釋 善融

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