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映画「天気の子」と親鸞聖人

映画「天気の子」と親鸞聖人

 

たとひ法然上人にすかされまいらせて

念仏して地獄に堕ちたりとも

さらに後悔すべからず候

娘と一緒に、新海誠監督の最新作「天気の子」を映画館で観てきました。

 天気の調和が乱れる時代を舞台にした、家出少年と不思議な能力を持つ少女の恋の物語です。祈るだけで、局地的ではあるが晴れにすることが出来る少女・陽菜、その力を使えば使うほど体が水になっていくことに気がつきます。そして、自分が犠牲になることで本来の天気を取り戻すことが出来ると知った陽奈は…

 天気の不調和、まさにタイムリーな内容というか、今年の日本は台風・大雨で甚大な被害を受けました。タイムリーすぎて「不謹慎・傷つく人がいる」といった評判も立つ中、監督はこの映画にこんな思いを込めたそうです。

 調和が戻るストーリーが定番だけど、現実世界では調和は戻ってきそうにない。一件落着して〈元に戻ってよかったね〉で終わる話は今更難しい。

 ならば、調和の戻らない世界で、むしろその中で新しい何かを生み出す物語を描きたい…

 調和とはこの場合「みんなが考えている通りに進む=思い通り」ということでしょうか。昨今の自然災害を目の当たりにし、監督は思い通りに行かないこの世界をどのように生きるのかを伝えたかったのでしょう。

 クライマックスの方で主人公の男の子は次の様に言います。

 もう二度と晴れなくたっていい!青空よりも、俺は陽菜がいい!天気なんて、狂ったままでいいんだ!

 この言葉を聞き、私は親鸞聖人の冒頭の言葉を思い出していました。親鸞聖人のこの言葉を自分なりに要約すれば、次のようになります。

 悪重く障り多い私には、念仏以外の行なんて到底無理である。念仏して地獄に落ちたとしても後悔はない。いや、法然上人が地獄に行くならば、私も喜んで地獄に行きましょう。

 私たちは地獄なんて真っ平です。極楽の方が良いですよね?でも私たちが考える極楽は、願いが全て叶い、快適安全な場所として、自分の欲望の延長でしか考えられません。結局は自分勝手で思い通りの世界を求めるだけで、孤独をさらに深めていってしまいます。源信の『往生要集』によれば、地獄とは

  我、今、帰するところ無く、孤独にして同伴無し。

と書かれています。帰っていく場所も待ってくれる人もいない世界、これが地獄です。自分の都合を満たす「極楽」は、ややもすると地獄に転じていくのですね。

 共に生きる人がいることで、私たちは絶望せずに生きられます。それは、地獄を生きていることに共感してくれる人です。地獄は、逃げようとすれば、恐怖がやってきます。しかし、地獄を生きられる覚悟を持てば、そこを住みかとして生きられるのだと親鸞聖人は言います。

 狂った世界でも、地獄のような世界でも、共に生きようと言ってくださる人との出遭いが私に生きる力を開いてくれるのだと思います。

 アニメと聞けば子どもが見るものと思いがちですが、そんな枠に囚われずに子どもから大人まで考えさせられる映画です。お寺でもいつか鑑賞会をしましょう。  

釋 善融

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