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願わくば深く無常を念じて、いたずらに後悔を貽(のこ)すことなかれ

願わくば深く無常を念じて、いたずらに後悔を貽(のこ)すことなかれ

  今年も九州を中心に大雨の被害が起きています。

 二〇一六年の熊本地震直後、地震の二ヶ月後には豪雨が襲い、弱った地盤に被害をもたらしました。二〇一七年は大分県で土砂災害や河川の氾濫が続出し、死者行方不明者42人を、さらに二〇一八年は台風の被害と重なり九州各地で9人の死者を出すなど、なんとも自然災害の続くことでしょう。

  宗教情報センター研究員の藤山みどりさんのレポートによれば、東日本大震災直後、多くの宗教家が語った言葉は「無常」という人生の「はかなさ」だったそうです。それに対する被災者の声は、

 「世の中には常に定まったものはなく、生まれれば死に、形あるものは滅する。だから大災害はいつ起きても不思議はないというのだが、凡人は何を信じていいかますます分からず、迷うばかりだ」

との批判でした。宗教家の語る「無常」には、人を救う力が無かったということですね。

 確かに、〈人は必ず死ぬ〉、〈終わりはやってくる〉という言葉は寂しい気持ちにさせます。そもそも、「無常」という教えは、形あるものは常に変化しているという事象を表した言葉であって、死ぬことや終わりが来ることはその側面でしかありません。逆に変化(成長)する事で、私たちは喜びを感じることもあり、悲しい事実を忘れることも出来ます。

  つまり、無常とは「当たり前」「ありのまま」「その通り」ということです。

  私たちはいつも「想定」の中で生きています。今日も何事もなく・・・いつも通り平穏で・・・。「想定外」の事を遠ざけようと神仏に祈るのが日頃の心で、なるべく考えないようにするのがこの世の「是」なのかもしれません。

 苦しみは、「自分の思い」と「現実」との隔たりから起こるのだとお釈迦様は言われます。私たちの日頃の心は、「ありのまま」では無く「思うがまま」であり、「その通り」ではなく「思い通り」であり、どこまでも、私の「都合」から離れられません。

 さて、今のあなたはの生き方はどうですか?

      住職 釋 善融

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