住職の寺人ぬ宝

日本一慈しい鬼退治
 
 「鬼滅の刃」の勢いが止まりません。十月に公開された映画は興行収入三〇二億円をわずか59日間で越え、一位の「千と千尋の神隠し」を越えるのは時間の問題でしょう。店頭には鬼滅グッズが溢れ、ご多分に漏れず、うちの子どもたちも鬼滅に夢中です。
 今回はそんな鬼滅の刃の一場面を紹介します。
 
 時は大正。主人公の竈門炭治郎は家族を鬼に殺され、唯一生き残った妹・禰󠄀豆子も鬼と化してしまう。わずかながら理性を残す禰豆子を元に戻すために、そして家族の仇を討つために、炭治郎は旅立つのである。
 
 仇討ちの相手は「鬼」。特殊な方法でしか殺すことの出来ない体質で、年も取らず怪我も一瞬で回復し、絶大な力を持つのが特徴だ。そしてストーリー全体を貫くのは「鬼はもともと人間」だったということである。炭治郎は言う。
 「鬼である事に苦しみ、自らの行いを悔いている者を、踏みつけにはしない。鬼は、人間だったんだから。俺と同じ、人間だったんだから」
 「鬼は醜い化け物なんかじゃない。鬼は虚しい生き物だ。悲しい生き物だ」
 
 容姿の醜さ、不遇な環境、不治の病等々によって差別を受け、虐げられてきた者たちは、鬼になることによって〈言語に絶するような苦しい人生〉に終止符を打つ。鬼になることに救いを求めた彼ら。敵であるはずの鬼に対しても向けられる炭治郎の優しさからは、単なる〈鬼ごろし〉の話ではなく〈鬼になるという悲しみの連鎖〉を断ち切ろうとする慈しみを感じる。
 
 さて、そんな悲しみを持った鬼がこの映画に登場する。その名は猗窩座。人間だった頃の名前は狛治。子供一人で病気の父親を養っていた。生きるため、薬を父に飲ませるためにスリを繰り返すが、捕まるたびに罪人の証として腕に刺青が刻まれる。「真っ当な生き方をしてほしい・・・」と言う父は、その6本目が刻まれた時、心を痛めて自害してしまう。
「どんな仕打ちにあっても父のためなら」と頑張ってきた狛治であったが、大切な父を失い自暴自棄で喧嘩に明け暮れる毎日を過ごす。ある時、慶蔵という道場主が助けを出し、自分の道場に来ないかと勧める。慶蔵の娘(恋雪)の看病と引き換えに。
 
 3年の月日が経ち、恋雪の病状は回復し、慶蔵からは道場を継いでほしいと告げられる。さらに恋雪が狛治に思いを寄せていることも。
 
 夫婦になった狛治と恋雪。父親の言っていたように真っ当な生き方ができるかもしれない、人生をやり直せるかもしれない・・・。  
 そんな淡い期待も虚しく、対立していた道場の嫌がらせで慶蔵と恋雪は毒殺されるのであった。命に代えても二人のことを守ると誓った矢先に。
 
 大事な人を守るためには強くなくてはいけない。どんなに強い者でも年を取ると弱くなり、すぐ死んでしまう。
 狛治は鬼=猗窩座となる事で強力な力を獲得し、自分を絶望に追いやった人間たちへ復讐を果たそうとするのだ。
 
 映画では猗窩座と鬼狩りの煉獄杏寿郎が戦う。煉獄は「柱」と呼ばれる「鬼殺隊」の中でも最上位の実力を持つ剣士だ。
 笑顔で猗窩座は言う。
 「お前も鬼にならないか?鬼にならないなら殺す」
 それに対し煉獄はこう答える。
 「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ死ぬからこそ、たまらなく愛おしく尊いのだ」
 「君と俺とでは価値基準が違う。俺は鬼にはならない」
 
 死闘を繰り広げながら、猗窩座は次第に煉獄の強さを認める。しかし、「どうあがいても人間では鬼に勝てない」と猗窩座は煉獄に言う。その言葉通り、煉獄は次第に劣勢に追い込まれるのであった。
 
 鬼になって煉獄に生きていて欲しいと猗窩座は思う。
「やっぱりお前も鬼になれ!杏寿郎!」
 笑顔で鬼になることを勧めた最初と違い、まさに鬼の形相、猗窩座のその言葉には鬼気迫るものがあった。大事な人を次々に失ってきた悲しみが関係するのだろう。
 
 煉獄と猗窩座の戦いは最終局面へ向かうのであった・・・。
 
 さて、人間と鬼とを隔てるのは「価値基準」だと言います。それは、生老病死に対する向き合い方でしょう。
 私の価値観は人間成就の道だろうか?それとも鬼になる道だろうか?

阿呆ばかり
「人は皆、泣きながらこの世にやってきたのだ。そうであろうが、人が初めてこの世の大気に触れる時、皆、必ず泣き喚く・・・生まれ落ちるや、誰も大声を挙げて泣き叫ぶ、阿呆ばかりの大きな舞台に突き出されたのが悲しゅうてな」 シェイクスピアの戯曲『リヤ王』  
 
 娘は今年小学生になり、規律や友人関係で揉まれながら日々を過ごしています。
 それは家庭内でも、「あれをしなさい」「これをしなさい」「早くしなさい」と子どもの将来に良かれと思いながら、親の口調は厳しくなる一方です。何が正解なのか?このままで良いのか?全く分からないまま手探りの育児ですが、お寺の本堂に座れば、日頃の心を転じる〈仏様の教え〉を忘れがちな日々に気づかされます。子どもに〈ありのまま〉を願いながらも、その実、私にとっては〈あってほしいまま〉を願っていたのでした。  寺族は〈入院患者〉で、その他の方は〈通院患者〉に例えられたりしますが、言い得て妙ですね。毎日仏様の治療を受けなければ助かりません。

 3人の親になり、子どもが誕生するたびに「苦しまなければならない世界に産み落としていいのか」などと考えた事もありました。そうこうしているうちに「人生こんなもんさ」と嘯(うそぶ)きながら、これから子どもが抱える苦しみは忘れ、私は子どもたちが泣き叫ばなければならない世界を作り続けているのです。〈阿呆ばかり〉とはこの私のことでありました。 釋 善融

後書き〜静涼橋のたもとより〜
静涼橋のたもとより ◆本格的な坐禅体験は初めてでしたが、静寂の中にも会話の声、虫の声、車の走る音、様々な音が耳に入ってきます。坐禅とは他との関係を切り離すものではなく、他との関係を紡ぎ直すものではないかと感じました。◇正法寺の僧侶が、坐禅の行は自己との対話だと仰っておりました。真宗はどうだろう?真宗の行はお念仏です。お念仏は自己との対話ではなく仏様との対話ではないかと思います。◆自分のあり方を自分で裁くのではなく、仏様によって自分のあり方が照らし出される。仏様を念じる私が、逆に仏様に念じられている、そういう世界が真宗の日々の念仏生活ではないかと思います。

騒音の中に
補聴器
 
補聴器をはずすと しんとした静けさの中に つき放される   補聴器をかけ スイッチを入れよう   この騒音の中に    私は生きているんだから   この騒音からも 何かを聞くために 補聴器をかけよう   石塚朋子
 
 


先月、縁あって仙台の葬儀に導師としてお勤めして参りました。喪主は農学部の先生で、引きこもりなどの総合失調症の研究を農学の観点から研究されているという方でした。素人の私からすればどんな繋がりが?と思いましたが、口に入るものによって病気を予防し治療するという考え方が、昔から「医食同源」と言う言葉で教えられているように、薬も含めて体の中に入ったものが、体にどんな変化を及ぼすのか、そこから、精神障害になる原因を遺伝子レベルで見つけ出す作業を、マウスなどで行っていると仰っていました。
 あまりにも高度な研究なので、理解しやすいよう自分で勝手にまとめましたが、先生は「要は私たちが健やかに健康的に生きて行くための方法を、薬学の観点から見つけていきたい」とお話しされていたのが印象的でした。(次ページへ続く)    色々なお話の中で、亡くなったお母さんの最後の言葉をお聞きしました。それは「うるさいっ!」だったそうです。  相当息子さんの声がうるさかったんですねと笑い話をしましたが、喧噪(けんそう)渦巻く濁世を離れ、静寂の世界に生まれたのでしょうと生前のご苦労を偲んできました。    お母さんの最後の言葉というものを聞きながら、私は表紙の石塚朋子さんの詞を思い浮かべました。  補聴器は難聴の人のために一九六〇年頃に作られた歴史の長いものです。値段の違いによる性能差もありますが、それでも「購入者の九割がつけなくなる」と言われるほど、技術的にはまだまだのようです。その一つの問題に「環境雑音」が異常に大きく聞こえるというものがあるそうです。聞きたい声だけ聞こえればいいが、耳障りな声や音まで拾ってしまう現象がそれです。     石塚さんはこの騒音を聞いていこうと言われます。騒音とはどんなものでしょう?辞書によると「騒がしくて不快に感じる音」「望ましくない音」と出てきます。例えば騒音による健康被害の一例では、心理的不快感、頭痛、睡眠妨害、集中力の低下、認知力の低下、体力の消耗などがあげられ、それらは生活のリズムや秩序を乱すものです。つまり私たちを不安にさせるものが騒音と言えるかもしれません。  そんな騒音は出来れば聞きたくありません。しかし私たちの思いとは裏腹に、騒音は老病死という形をもっていつでも現れます。苦しみの現実の中で、石塚さんは騒音に意味を見いだされたのでしょう。    世間ではそんなものに意味はないよと説き、どうにか誤魔化す道=神頼み・占い・まじないを教えますが、仏法は反対に現実を生き抜く力強さを教えてくださるのだと思います。       

まぼろしの子ども像
 教育ジャーナリストの青木悦さんが、子どもはこうあって欲しい、こうでなければならないという価値観を「まぼろしの子ども像」と名づけている。実際に思い描く完璧な子どもなんていないし、完璧な像を描くほど、思い通りにならない子どもに苛立ちを感じる。子どもは子どもで、親の描く子ども像の中で息の詰まる思いを感じるのだろう。  まぼろしとは、好き嫌いせずご飯を食べ、友達や兄弟と喧嘩をせず、親に言われたことを素直に聞き、親の仕事の邪魔をせず、遊んだおもちゃをしっかり片付け、テレビばっかり見ないでたくさん勉強をして、早寝早起きをする・・・考えていたら自分の子どもに対する愚痴が沢山でてきそう・・・汗。子どもが大きくなればなるほどそんな「まぼろし」が増えるのだろう。  親の期待に応えられない子どもが今悲鳴をあげている。私たちは、子どもが苦しむ世界を作り続けているのである。  

思い込みの人生
 「こうでなければならない」、「こうしなければならない」「こんなもんだ」というように、今まで生きてきた経験の中で自分なりの人生観・価値観・世界観を皆さんも築いてきたことと思います。それを他者から否定されると嫌な気持ちになり、反感さえ覚えます。  これが普通だという価値観は所詮自分の経験則や世間のルールですから、住む世間が変わったり自分とは真逆な人生を歩いてきた人に出会えば、今まで積み重ねてきた事が一気に崩壊していきます。    それは他者からの否定だけではなく、自己の〈身の事実〉からも常に否定され続けているのではないでしょうか。   ◆         ヨボヨボ歩くのはみっともない→若い方が幸せという価値観 →必ず老いる  ◆         病気にならないのが幸せ→健康な体が完全だという価値観 →必ず病気になる ◆         いつまでも元気で長生きする→生のみを肯定する価値観 →必ず死ぬ    こうあるべきだと思っていても身の事実は嘘をつきません。その事実に対面したとき、今まで積み重ねてきた価値観が崩壊し、何が本当のことなのかを求める生き方になるのでしょう。     釋 善融
 

思い込みの人生(続き)
 二男・至按の体に赤い湿疹が出始めたのは二ヶ月ほど前の事です。アセモかなぁなどと軽く考えていましたが、熱も38度ほどまで上がったので小児科に妻が連れて行きました。
 我が家の行きつけの小児科は実は決まっておりません。3人の子供を育てる中で家から直ぐ通えるいろいろな方面の小児科に行きましたが、ここぞという所がまだ見つかっておりません。
 この日はとある小児科に行きましたが、先生によるとこれはアトピーである、アトピーという根源を治すというのは不可能に近いという事でした。妻曰く、丁寧な説明と言うよりは高圧的な話し方で、こちらが話をしようものなら、「あなたは何も分かっていない」という感じで畳み掛けてくる感じだったそうです。妻は無言になり30分ほどのアレルギーとアトピーの講義をただただ聞くのみでした。病院から帰ってきてどんな感じだったか聞くと「もう行きたくないかなぁ」だそうです。
 その病院でもらったアトピーのための塗り薬を体全体に塗り、熱が下がるのを待つだけだと思っていましたが、次の日はもっと高熱になり目もうつろになる至按。先の病院に電話をかけたが昼休み中で繋がりません。それを良いことに以前行ったことのある他の病院に連れて行きました。もしかしたらという予感があったので車二台で病院に行き、着いて早々診察を受けるとすぐに総合病院に行くようにと紹介状をもらいました。耳がぱんぱんに腫れて中耳炎を起こしているという診察です。実は昨日の病院で「中耳炎の疑いはないですか?」と先生に質問していたにも関わらず、耳を見ることもしなかったそうです。
 
 妻はその足で紹介先の病院に直行、私は保育園のお迎えもある為ここで分かれました。 家で待機していると、妻から入院しなければならないと電話が入りました。診察の結果は何らかのウイルスが作用し湿疹と高熱の症状を引き起こしているとのこと。中耳炎は・・・見受けられないとの診断です(笑)。とりあえず万が一に備え入院道具を持って行ったので助かりました。
 
 入院中は私が上の子ども達を見ながら過ごしていました。初めのうちはお風呂に入れたりご飯を作ったりなんとか過ごしていましたが、そのうちご飯は食べない、部屋を散らかす、兄弟げんかをするなど、こちらのストレスもマックスに。娘は「お母さん早く帰ってきて」とべそをかき始める始末です。
 
 先述のように、私たちの頭は「こうでなければ・・・」と言う考えで一杯です。子供に対してもこうあって欲しい、こうしてはダメだという理想があります。その理想と現実とのギャップに苦しみが生じます。当然、理想が高ければ高いほど、現実との乖離に打ちひしがれてしまいます。
 しばらく私は自己嫌悪に陥りました。自分の理想通りに育ってくれない我が子を怒鳴り、伸び伸び育って欲しいと子供に願いながらも自分の欲望によってその歩みを妨げる自分に・・・
 仏様に手を合わせる時間は、そんな私との対話の時です。
 
 おおっと、紙面が足りなくなってきました。 至按は今現在、医大へ転院し治療中です。転院する前、一ヶ月近く親身になって診てくれた総合病院の医師はこう言いました。「私のような未熟な一小児科医では、これ以上判りかねる」
 
 適当に判断をせず、分からないことを認める。こんなことを言う医者は初めてでしたが、それは本当に直してあげたいという思いなのでしょう。
 かかりつけ医を持たなければならないと言われますが、本当に信頼関係を持てる医療はどこにあるのでしょうかね。
 

遅ればせながら、改めて発表致します。
 昨年十一月三十日に二男が誕生しました。名前は至按といいます。    至は〈道〉、歩むという意味です。按は案ずる、考える、深く見つめると言う意味です。    親鸞聖人は、まさに〈按〉の道を歩まれました。    謹按 浄土真宗   と、『教行信証』に〈按〉という言葉が見えますが、親鸞聖人は真実とは何かを深く見つめ続けられました。そして、真実の働きに出会えば出会うほど真実に生きられない〈不実なる我が身〉に親鸞聖人は出会われたのです。    自分自身を問い、人生の問題を深く按じながら生きて欲しい。そして大いなる働きに出遭い、人生に感動と輝きを持った人生を送って欲しいという願いを込めた名前でした。

 至按は生後まもなく心臓に二つ穴が空いていることが分かりました。多くは自然に塞がるか、成長を待って数年後手術をするらしいです。しかし、至按の心臓の穴は10ミリほどで、肺に多量の血液が流れ込み重度の〈心不全〉〈肺うっ血〉になりました。泣くと血液が体中に回り顔がどす黒くなる我が子を必死にあやし続ける日々でした。  手術の前日、医師からは大きなリスクを伴う手術だと、後遺症はこのようなことが考えられる、しかし処置しないと命に関わる等、少しでも安心させて欲しいという家族の思いとは裏腹に、非常に冷酷な説明でした。こういう時にはリスクに対する医者の説明義務のようなものがあるのですね。  善融→融至(長男)→至按と〈しりとり〉のように〈一応〉繋がりました。名前の繋がりはあったとしても、それが例え家族のように繋がりが強いものでも、人生を歩むのはそれぞれです。どんなに難しく苦しい状況でも、その身は至按であり、親は代われないのです。    身自当之(しんじとうし) 無有代者(むうたいしゃ) 「身、自らこれを当け(うけ) 代わるもの有ること無し」とお釈迦様は説かれました。     小さな体で精一杯生きようとしている息子を見て、私に出来ることは、私自身が精一杯生きる事以外にないのだと気づきました。それぞれが抱えている事実を通し、それぞれの現実を歩むほかないのです。  そんな私は息子を見ながらアタフタし、生死の現実に打ちひしがれる毎日でした。それでも、それが私の現実。これからも生死の現実に懊悩する日々が続いていくのでしょう。    按じる道を通し生きるチカラを持って力強く歩んで欲しい、そんな願いを名に托しましたが、それは実に利己的なもので、願いをかけていた自分が、実は大きな働きに願われていたのでした。 「父ちゃん、現実をしっかり見て父ちゃんのいのちを生きてね」  至按は自らのいのちを通し、私に願いをかけました。按じることを止める私をいのちの事実に目覚ましめた、まさに仏様であります。 釋 善融
 

私は死にたい

 このように目の前の人に言われたら皆さんはどのように思い、どのように応えるだろうか?
 
 今年の5月末、妻から一本の電話が入った。同僚の娘さんが自死したという知らせだった。自死や自宅で亡くなった場合、坊さんは警察による検視や医師による検案が終わるまで待つことになる。数日後の京都行きの準備に追われる中、自死した少女の葬儀がいつ行われるか、どのようにご遺族と顔を合わせたら良いのか、責任の重大さに押し潰されそうになっていた。
 
 17歳の少女は高校の途中から不登校になっていたという。なぜ生きるのか?その理由さえも考えることなく〈何となく〉過ごす人々が多い中、少女は生きる意味を真剣に問うていた。生きる意味が分からない…死にたい…。自死した子の母親は私の妻に「お寺にいつか行きたい、仏様の教えを聞きたい、娘を連れて…」と言っていたという。私は「いつでも来ていいよ。バーベキューでもやろうか」と簡単に答えていた。このような結果になろうとは思いもせず…
 
 その時少女が訪ねてきて「死にたい…」と言ったら、私はどのように応えていたのだろうか?その事を考えると今でも胸を締め付けられる思いがする。          

天の華

 親鸞聖人が大切にされた『仏説阿弥陀経』には、阿弥陀の本願によって象(かたど)られた浄土の姿が描かれている。その姿は、私たちの住む穢土の姿が相対化され、この世を厭い浄土を願う=「欣浄厭穢(ごんじょうえんえ)」の精神へ誘う大切なお経である。    この世は汚れている、早く死んでお浄土へ・・・という事ではない。浄土とは私たちの住む世界がいくら汚れて生きづらい様相を示していても、そこに生きる根拠、大地にしっかり足をつけて生き抜く精神を私たちに与える働きの根源である。    浄土では1日に6度、天からお花が降り注いでくるという。表紙の絵は浄土の精神に生きる菩薩たちが、そのお花を集めて他の国へ持って行き、その国を生きる人々に天空からお花を降り注ぐ様を表した絵である。  この言葉は、他の世界に生きる人々の発見であると思う。この世は多種多様の人々が生きる場である。    その昔から私たちに夢を与え続けている?ディズニーの世界は、「イッツ・ア・スモールワールド」という曲に象徴されている。歌詞には次のような言葉が見られる。    世界中 だれだって ほほえめば     仲良しさ みんな輪になり  手をつなごう 小さな世界  世界はせまい 世界は同じ  世界はまるい ただひとつ    ディズニーは「人種や性別、国籍、言語の違いがあっても子供達は何のしがらみもなくすぐに友達になれ、ケンカしても泣いて笑ってすぐに仲直りしてしまう。まさしくこれが平和の世界ではないか」(wikipediaより)と考えたそうであるが、それはそれで間違いではない。ただ、この歌詞に違和感を感じるのは、やはり私たちは〈世界は同じ〉という事にずっと裏切られてきたからだろう。同じように生きる、それもただ一つの丸い世界の中でというのは「私たちは同じ世間にいて同じ時間を生きている!」という一種の脅迫であり、もともと私たちは「それぞれにしか存在しない、一人一人の時間を生きている」のだ。ただ、個人の概念が希薄な日本において、この世間を相対化するのは非常に難しいことであるが・・・。    世界を見渡せば、国籍、宗教、肌の色、性別、信条、価値観、様々な〈違い〉のオンパレードである。その〈違い〉は私たちに、〈世界は一つ〉という閉鎖性を超えて、十人十色の開かれた世界を開いていくはずだ。〈世界は一つ〉の合い言葉が、どれほどの憎しみ合いと戦を招いてきたことか・・・。   すずと 小鳥と それからわたし みんなちがって みんないい          金子みすゞ    〈違い〉が〈いい〉という世界はまさしく他の発見である。    一つになる必要はない、それぞれが持っている固有の世界を認め合っていこう。浄土の菩薩たちは、違いをもったそれぞれの世界に、祝福の花を今日も降らせているのである。

旅に出よう
 京都の大谷大学から帰郷しおよそ一〇年、聞光道場が出来、その片隅で生活しながら家族を享け時を送ってきましたが、この度、前住職と住処を交代し宗通寺の庫裏へ引っ越しをしました。新しい生活が始まります。
 新生活には不安と期待の相反する思いを抱かせますが、それは旅をすることに似ているかもしれません。初めての土地での初めての体験、旅はそこで今まで出会ったことのないような人々との出遭いも生みます。自分の価値観がひっくり返ることだってあります。
 
「旅への衝動は、人生の希望に満ちた症状の1つである」
   アグネス・レプリア(米国のエッセイスト) 
 
 旅とは、何かを求める心から生まれるのでしょう。それはおおよそ、仏教を求める心とも通じるものがあります。今までの自分の生き方は何だったのか?何を拠り所として生きていけばいいのか?私は何者か・・・?
 
 お寺とは仏法を通して、今まで出会ったことのない世界に出会う場所なのだと思います。お経の言葉には、世間道を超えた仏道の世界が広がっているのですから。
釋 善融

悲しみに身を寄せて

 今月2月25日、盛岡で上演する演劇ブッダを観に行くことになりました。昨年、秋田県の田沢湖芸術村にこの演劇を「迫佛庵」ツアーで観に行ったので2回目の観劇予定です。
 この演劇は、お釈迦様が誕生しお覚りを開くまでのインドを舞台とし、セットも衣装も音楽も非常に異国情緒あふれ当時にタイムスリップしたかのようでした。登場人物も多種多様で、一人一人が抱える人生が実に巧みに描かれており、物語に深く引き込まれてしまいました。
 インドという国はカースト制度という差別体制のもとに成り立っており、それは今も昔も変わりなく続いています。バラモンという司祭階級、その下に王族階級のクシャトリア、庶民階級のバイシャ、奴隷階級のシュードラというように4つの身分に分かれます。実はこの枠組みに入らない「不可蝕民」という身分があり、触れることも近づくことも見ることも許されない階級があるのですが・・・。  さて、演劇ではこの身分社会の差別に傷つき、苦しみ、悩んでいる人々と、何不自由ない王子という身分を捨てたシッダルタ(お釈迦様の覚りを開く前の名前)との交流を通して生きる意味を問います。身分の高下に関わらず、王族の者も奴隷の者もそれぞれが苦しみを抱え、その苦しみを見据えた先にシッダルタはブッダ=覚者の覚りを得ました。  お釈迦様の覚りは、人々の悲しみを我が悲しみとして引き受けた所にあったのだ、そして人間が人間として成就するには、自分と他人の悲しみを深く見つめていくことにあるのではないかと気付かされました。それは演劇中でシッダルタが悪魔達に襲われるシーンを観ながら・・・。詳しくは次のページにて(寺報の2ページ目へ)          盛岡の光照寺さんで今年から始まった月一回の講習会に、「釈尊伝」というお題を頂いて話をして参りました。お釈迦様の生涯を8つに分けて話をしましたが、60分という短時間で釈尊の生涯を辿るのは難しく、最後は駆け足で「涅槃」の話を終わるという何とも後味の悪いものでした。  その中でお覚り前のシッダルタが「魔」に襲われるという出来事があります。6年間の苦行に見切りをつけ、スジャータという村娘の施しによって体力を回復したシッダルタは、菩提樹の下で瞑想に入りました。するとシッダルタの心を乱そうと悪魔達が妨害します。それは自己自身に潜む悪しき思い、煩悩でした。  前述のように、お釈迦様の生きたインドは階級差別の激しい土地で、その上、国と国との権力争いで戦争が絶えず人々の暮らしは安らぎとはほど遠い激動の時代でした。  お釈迦様の生まれた釈迦族も、隣国のコーサラ国に滅ぼされてしまいます。これには深い因縁があります。コーサラ国のパセーナディ王は妃を釈迦国から迎えたいと願い、断れば戦争だと使者に言付けをしました。力で妃を迎えようとしますが、釈迦族は「あんな卑しい者と縁を結びたくない」と、低カーストの娘を貴族と偽って嫁に出します。やがて毘流離(びるり)という太子が産まれますが、成長過程で自分の出自を知らされ、その後王位に就いた毘流離王は恨みを晴らすために釈迦族のもとに出撃し滅ぼしてしまいます。  演劇の中でもこの事は描かれており、血で血を洗う時代の中で人々の苦悩が浮き彫りにされます。人間はなぜ苦しみの世界を生きるのか?なぜ悩まなければならないのか?そもそもなぜ生まれてきたのか?ということが大きなテーマとなります。  お釈迦様が覚りを開く直前、魔との戦いが始まります。他人の苦しみなんてどうでもいいではないか、自分の悩みが解決されればいいだろうと言う囁き。そんな魔との対話の中で、出会ってきた人々の悲しみに身を寄せ、思いを巡らせます。母親を愛せず恨みを抱く毘流離王、人知れぬ苦しみに悶えながら生きる毘流離王の母親、最下層の人間として差別を受けてきた盗賊たち、薬で体が巨大化した人間など、誰もがブッダ=覚れる人を待ちわびていたのでした。  お釈迦様の魔との戦いは、人間成就への道だったのだと思います。魔は人間から人間性を奪っていくもの、他人はどうなってもいい、自分さえ良ければという考えは非人間化された姿そのものです。  前回秋田での演劇を観ながらこんな事を考えていました。もう一度じっくり観劇してきたいと思います。

報恩講を終えて

 今年の宗通寺報恩講は住職として初めての厳修になりました。期間中、世話方の皆さんにそれぞれの役割を担ってもらいながら、報恩講という一大行事を創っていくことが出来ました。報恩講はお寺の行事ではありますが、そこに集う人それぞれが主役なのですね。    さて、宗通寺の報恩講は長らく外部講師をお呼びしませんでしたが、色々な意味で北村年子さんのお話は刺激的だったと思います。日本において個人という概念が広まったのは明治以降で、それまでは「世間」が第一という考えでした。個人の尊厳などは二の次で、世間に迷惑をかけない、「公」を大事にすることが「普通」だったのです。日本に個人の概念が伝わったと言っても、戦時中を思えばそう簡単に個人を大切にする社会にはなりませんね、今でも・・・    北村さんは「自尊感情」という事を通して自分を尊ぶ人間になろうと呼びかけました。「自尊感情」の本来の意味は、「人より優秀」という「優越感」ではなく、「不完全な自己」を受け入れるということ。ありのままの自分を、世間に埋没させずに表現できる事が仏の願いなのではと思いました。