宗通寺について

宗通寺の紹介

国道396号線を北に折れ、宗通寺への道に入ると、まもなく擬宝珠をあしらった朱塗りの「静涼橋」にかかる。

山門に続くこの道は、藩政時代、盛岡と太平洋沿岸を結んだ遠野街道の名残りだ。ここから東に山峡の道をたどると、盛岡藩の鋳銭座の跡があり、近くには弥生人骨が発掘され、脚光を浴びたアバクチ洞穴がある。この辺り一帯は中世より有数の産金地だった。
 宗通寺が開山したのは1600(慶長5)年。関ヶ原合戦の年。大迫郷でも、戦乱の嵐が吹き荒れていた。開基・釋宗哲は、現在地にほど遠からぬ街道沿いに、本願寺顕如上人の裏書きを持つ阿弥陀如来絵像を本尊として、草庵を結び、騒乱に生き惑う村人に本願念仏の道を説いた。
 17世紀中葉、幕府はキリシタン禁制を徹底し寺檀制度によって民衆統制を図るが、一帯を支配していた岩脇館の館主・帯刀や、大迫一揆で目代を討った堂ノ前彦次郎、砂金採掘に携わるキリシタン達が刑死を免れ、真宗に帰依し、寺請寺院となった宗通寺の寺づくりに合力していくのである。

 本堂は、250年前の真宗寺院様式を残したまま、宝形造りに改修され、左隣りには「聞光道場白飛庵」が建つ。

山門前に、俳人哲学者・竹本白飛の句碑がある。

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