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宗通寺について

宗通寺物語〈外伝〉 キリシタンの夢

岩脇帯刀や堂ノ前彦次郎は〝キリシタン〟だったと伝えられています。そのころ、この地方には、この二人だけではなく、もっと大勢の〝キリシタン〟たちがいたようです。今回は「宗通寺物語」の〈外伝〉として「奥州のキリシタン」を訪ねます。  ◇キリシタンがやってきた  日本にキリスト教が伝来したのは室町時代末期の一五四九年。鹿児島にやってきたキリスト教伝統派(カトリック)でイエズス会の創設者フランシスコ・ザビエ […]

  • 2019.11.01

余間の十字名号本尊の由来

   内陣向かって左側の余間に、「帰命盡十方無碍光如来」の名号本尊が奉安されています。  三〇年ほど前のことです。真宗会館の主催で「関東の御旧跡」を巡拝。栃木県真岡市の高田に建つ、親鸞聖人創建唯一のお寺として知られる「専修寺」(写真)にお参りしたおり、このお寺に伝わる親鸞聖人真筆の影印名号をいただきました。後日、佐藤重夫さんに本願寺様式で表具をしていただき、現本堂改修後、余間本尊として奉 […]

  • 2019.07.12

宗通寺の歴史と由来

 慶長5年。釋宗哲は、「寺屋敷」に、本願寺顕如の裏書きを持つ阿弥陀如来絵像を本尊として結庵した。釋宗哲の人となりも、顕如から本尊の下付を受けてからおよそ25年、どのような経緯を辿ってこの地に結庵されたのかについてもわかっていない。 第4世・釋玄榮のころ、寺請寺院化に従って寺域を現在地に移し、元禄8年(1695)に東本願寺より木造本尊を受け寺号を公認された。宝暦10年(1760)、現本堂を建立。内陣 […]

  • 2019.07.12

宗通寺の紹介

国道396号線を北に折れ、宗通寺への道に入ると、まもなく擬宝珠をあしらった朱塗りの「静涼橋」にかかる。 山門に続くこの道は、藩政時代、盛岡と太平洋沿岸を結んだ遠野街道の名残りだ。ここから東に山峡の道をたどると、盛岡藩の鋳銭座の跡があり、近くには弥生人骨が発掘され、脚光を浴びたアバクチ洞穴がある。この辺り一帯は中世より有数の産金地だった。 宗通寺が開山したのは1600(慶長5)年。関ヶ原合戦の年。大 […]

第1回 宗通寺の歴史物語

一 はじまり 最初のお寺は、現在地の南東の丘陵部にありました。現寺域の山門の前を通る道は旧「遠野街道」です。 江戸時代の終わりの頃には馬三千・人三千といわれるように交通量の多い道で、海岸地方から塩や海産物が馬の背で盛岡城下に運ばれ、内陸からは穀類や衣料品などが、南部の支藩である遠野城下や沿岸地方に運ばれる、文字通り、南部盛岡藩の主要道路でした。 山門を出てこの道を南に進み、八木巻川を渉って丘陵地帯 […]

  • 2019.01.01

宗通寺の寺宝1

宗通寺本堂の内陣と外陣を区切る「欄間《らんま》」は「こて絵」で作られていると。 中央の間には浄土の音楽を奏でる天人(右)と浄土の鳥・迦陵《かりょう》頻伽 (左)が、左右の間には自然界の守護神である竜神が極彩色で描かれている。江戸末期から明治初年のころの作だろうか。 こて(鏝)絵とは漆喰(しっくい)を使って左官職人が「こて」で壁に浮き彫りにした彫塑《ちょうそ》。古くは高松 塚古墳、法隆寺の金堂の壁画 […]